会員の声(ブログ)

八ヶ岳jomon楽会 会員の声ブログ

茶色の瞳

記:荒木いち夫
茶色の瞳
最近ニュースで見たのですが、縄文人の最新の遺伝子解析の結果、いくつかのことが新たに判明したそうなのです。
その中に、縄文人の目は茶色だったという内容がありました。
なるほど、ずいぶん前に雑誌に載っていた話だったと思うのですが、一般に日本人は自分たちの目の色を黒だと思っているけど、目の色に敏感なヨーロッパの人に言わせると、日本人の目の色は茶色なのだ、という話を思い出します。なるほど、たまに、真っ黒い瞳の人に出会うと、黒い瞳とはこのことを言うのか、と感心してしまいます。
現日本人の20%くらいは縄文人の血が混ざっているそうですから、周りには茶色い目が多いのだと思いました。
ところで、スンダランドという大陸の話があります。(NHK日本人はるかな旅、より)
紀元前70000年前から14000年にかけて今のフィリピンあたりに存在していたそうです。氷河期の終わり12000年程前より水没してしまったそうです。
現在、そのフィリピンのフォリオ島にウガダットという民族がいます。
「海からやってきた人々」という意味だそうです。
遺伝学的にスンダランドが水没するころにやってきたホモサピエンスの直系なのだそうです。
わたくしは初めてそのお顔を見てとても親近感を抱きました。
たぶん、中国人や、韓国人よりもわたくしには親近感をいだけました。
そして驚いたことに、その瞳は他では見たことがないような、どっきりするくらいのきれいな茶色の目だったんです。
その瞳を見て、縄文人の祖先に違いないと、ひそかに確信してしましました。
そんな研究発表はまだないのかな。知っている人は教えてください。


記: 荒木いち夫
縄文のビーナスと初めて出会って

「ヘーエ、つながっているんだ」
思わずそんなつぶやきが出ました。
頭の冠のような部分に、簡素にひかれた線刻を目で追っていた時の事です。
丁寧に一筆書きで線刻されています。
その簡素さに違和感を覚えました。
簡単に引かれた線のように見えますが、実際このような線刻をするのは結構手間で、かなり慣れた人が、このような表現を狙ってやったものに思えたことも、謎に思えました。
モノを表したというなら、頭にのせていた籠、あるいはいは髪型のような具体的なモノを表そうというなら一筆書きにこだわらない気がするし、記号のような、魔よけのような意味のあるデザインなのなら、体の他の部分にも施しそうなものと思いました。
他の土偶にも似た一筆書きが見られますが、他はその場所は体ですし、一筆書きにこだわってというよりは、描くデザインが先にあったように見えます。
その点、この頭部の一筆書きのデザインは一筆書きにこだわってのものに思えました。後頭部の線刻は、土器の上部によくある動物のようなデザインに似ていると思いました。


一筆書きといえば、ケルト模様、ナスカの地上絵を思い出しますが、古代の人たちは、一筆書きに何か特別な魅力を縄文のビーナスと初めて出会って

「ヘーエ、つながっているんだ、思わずそんなつぶやきが出ました。
頭の冠のような部分に、簡素にひかれた線刻を目で追っていた時の事です。
丁寧に一筆書きで線刻されています。
その簡素さに違和感を覚えました。
簡単に引かれた線のように見えますが、実際このような線刻をするのは結構手間で、かなり慣れた人が、このような表現を狙ってやったものに思えたことも、謎に思えました。
モノを表したというなら、頭にのせていた籠、あるいはいは髪型のような具体的なモノを表そうというなら一筆書きにこだわらない気がするし、記号のような、魔よけのような意味のあるデザインなのなら、体の他の部分にも施しそうなものと思いました。
他の土偶にも似た一筆書きが見られますが、他はその場所は体ですし、一筆書きにこだわってというよりは、描くデザインが先にあったように見えます。
その点、この頭部の一筆書きのデザインは一筆書きにこだわってのものに思えました。後頭部の線刻は、土器の上部によくある動物のようなデザインに似ていると思いました。


一筆書きといえば、ケルト模様、ナスカの地上絵を思い出しますが、古代の人たちは、一筆書きに何か特別な魅力を感じていたのかもしれませんね。
どなたか、こんな内容に関する意見、資料をお持ちでしたら、ぜひ教えていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。


2018 一泊研修旅行


縄文の縁の下の力持ち
                       小林純子
宿泊研修で、東京の西部の遺跡を訪ねました。実際の地形や周囲の雰囲気、実物が見られたことも貴重な体験でしたが、それにもまして、縄文の遺跡や出土したものを守り、展示工夫、解説説明してくださった方々にお目にかかれた事も素晴らしいことでした。
◎下野谷遺跡(国史跡)・・・タブレットでバーチャルリアリティ
 亀田直美さんから説明を受ける。
芝生の公園になっている関東最大を「でいのため遺跡」と競っているとか。標高52m,59m(八ヶ岳との差がすごい!)、北側7?崖下に石神井川が流れている。(カワセミがアシにとまっていた!)
そこで、1人1人にタブレットが配られる。『その場所でかざすとその場の映像・・・木組みだけの小屋が屋根も見える。炉も見える。
縄文の星空も見える。クイズもある。・・・』
タブレットが、身近でない熟年の私たちもすぐに夢中になり、足元に注意!!状態。ここに見学にくる小学生もきっと喜ぶことでしょう。今の時代に合った工夫に関心。

◎西東京市郷土資料室・・廃校教室を使った展示や手作りジオラマ
 石器や土器の展示。炉の復元や市民手作りのジオラマがあった。「下手くそな土器論」もおもしろい。『西東京圧痕倶楽部』ボランティアの活動場所でもあるそうだ。

◎下宅部遺跡・・・遺跡公園の植生の工夫
 池や川から、木製や漆、鉄の遺物が出土した遺跡。今は公園だが、公園作りの時、木々を指定。マテバシイ、クリ、コムラサキ(本当はムラサキシキブを植えたかったそうだ)
 アジサイは、野焼き用で、焼き跡があった。

◎東村山八国山たいけん館・・・たくさんの出土品の展示・説明
 遺跡公園から徒歩3分。漆や豆、麻、籠の展示、復元された籠など材料処理過程の展示もあり、興味深い。漆のパレットや刷毛跡の展示も。以前に訪問した是川考古館や鳥浜考古館を思い出した。たいけん館のすぐ隣は「トトロの森」。館内では、ボランティアによる「ドングリのトトロ作り」のプログラムも。小学生が2人、熱心に作っていた。身近な博物館と実感。

◎ 武蔵村山市立歴史民俗資料館
小さい博物館、片眼の土偶

◎「かんぽの宿青梅」・・・駒木野遺跡の上に建つホテル
 部屋から、大きく曲がった多摩川の流れを見ながら、縄文遺跡の上に泊まるのは、不思議な感覚。
◎石器作り・・・プロの技に目を見張る
 宿のすぐ前の多摩川の河川敷でのワークショップ。
 久保田先生(元青梅郷土資料館館長)は、全国の河川の石で2,000個以上の石器を作ったという石器のカリスマ。
 実演を交えながら、石器作りの技法や手順、検証方法などを明解なお話に納得。1番難しいのは、「たくさんの石の中から適した石を見つけること」
石の「打点」をめがけると簡単に割るところを見せていただたり、ハンマー面と台石面が異なることを見せていただいたり、目からウロコ。
 やってみて分かる『実験考古学』の重要性が分かった。石器を見る時の視点が変わった。

◎青梅郷土博物館・・・良い天気と紅葉に恵まれた研修
 貴重な出土品が。解説説明を伺うとさらに、貴重さが分かる。
 久保田さんは、発掘された石棒を担いで、電車で東博に持っていったとか、おもしろい!

◎二宮考古館・・・小さいけど充実の空間
二宮神社の脇にある小さい考古館。

◎八王子郷土資料館・・・充実の2日間の最後
 「赤ん坊を抱く土偶」母親の顔はないけど、赤ちゃんの顔や母親の横座りの脚が可愛い。本物は東博。
「ミニチュア土器」は精巧な作りが見事。
ここでもボランティアが活躍。

※今回の研修を下見・交渉を何回もして、コーデュネートしてくださり、当日はアテンドまでしてくださった中山真治さん(府中市教育委員会)に感謝申し上げます。原村の別荘においでの時は、
 八ヶ岳jomon楽会でもお目にかかれるとうれしいですね。
 会田会長も亀田さん、中山さんと下見をしてくださったので、時間ぴったり充実の研修2日間ができたと思います。感謝です。
 それにしても、縄文大好きな人のために、地道で情熱的な研究や博物館、考古館で展示工夫、解説説明をしてくださっている方・ボランティアの方のなんと多いことでしょう!改めて、ありがとうございます。
 これからも、よろしくお願い申し上げます。
  


2018秋の一泊研修旅行

2018東京西地区の遺跡探索 印象記
山内一晃

八ヶ岳jomon楽会に入会して半年、遺跡探索は初体験。今回の訪問地は下野谷(したのや)遺跡と下宅部(しもやけべ)遺跡の二つ。東京西地区とは東村山、八王子、青梅などをいい、この地域は西側の秩父山塊と丹沢山塊で信州方面と大きく隔てられ、さらに甲武信岳を源流とする北の荒川と南の多摩川に挟まれた広大な関東台地の一翼を形成している。
遺跡を巡る旅は建築や庭園を見るのとは違い、視覚的対象物がない分、根本的に味気ないものだと思う。発掘された遺跡は殆どが埋め戻されて広場や公園になっているのが通例、尖石、棚畑、中ッ原遺跡もしかり。三内丸山のようにしっかり作られた遺跡公園もあるが、何か箱庭的に感じる。つまり遺跡の復元は固定的でレプリカの域を出ない。僕は考古学者ではないので出土品の年代測定、類似性や整合性の判定、科学的な同定などにはあまり関心がないが、一方、土器や土偶の発する訳の分からなさや、遺跡の存在する場所そのものについては大いに興味をそそられる。
僕の関心は遺跡のある場所の地形、地質、気候風土、周囲の景色や植生などの環境要素が、縄文人に与えた影響を読み解くところにある。また土器や土偶の文様表現が何を意味するのかを解釈するところにある。縄文人とはいかなる人々なのか、一万年の長きにわたって大した技術開発もせず、大集団も作らず、周囲のムラと戦って支配することもせず、まあ、平和な時を過ごしてきた。ヨーロッパはこれと逆で、殺戮と支配を繰り返して国家を作り上げた。ここには民族と宗教の入り混じった欧州大陸の複雑さの本質がある。
今回の遺跡探索は現地に立って土や風の感触を味わい、周囲の景色や地形を眺めながら縄文の昔に思いをはせる、このことが僕にとっては重要だった。今は存在しない縄文の生活風景を脳内に想像して自分なりのイメージを膨らませる。100人いれば100の縄文がある。物がないからこそ見えてくるものもある。
NHK番組「ブラタモリ」では、その土地の地形や地質を読み解き、町の歴史や文化の形成過程を解説するが、この番組のキモは、タモリ自身がその土地の地形や風土を重要と捉えていることである。「人類と気候の10万年史」では、地球の気候変動は天体の動きと連動していることを学んだ。谷と尾根が繰り返し連続する日本の地形にあって、河川流域に住み着いた集団もあれば、台地や丘陵に住み着いた集団もある。利水や日当たりは氾濫や土砂崩れと表裏一体であり、自然環境は着実に人々の生活に影響を与える。縄文人は何を根拠に住処の場所を決めたのであろうか。今回の縄文探索は、このようなことを考える契機を与えてくれたと思う。
東京西地区のほぼ中央に位置する狭山丘陵は、樹齢100年を超える大木を擁して往年の武蔵野の面影を残してどっかと佇み、2つの人口湖多摩湖と狭山湖は首都東京の水甕となっている。武蔵野丘陵と呼ばれる広大な一帯は、地形的には信州側と秩父丹沢山塊で大きく隔てられているが、土器や黒曜石の出土状態から、諏訪地域と頻繁な交流があったと推定されている。諏訪エリア、甲府エリア、武蔵野エリアは相模湾へと繋がる眉型地帯を形成する縄文文化の中心地であった。縄文遺跡の痕跡を巡ることで、ジオメトリーとしての地形の奥底に隠された古代縄文人の生活文化や行動範囲を想像してみるのも面白いものである。
以上




八ヶ岳jomon楽会 夏期大学講座「骨とオコゲの考古学ー縄文人は何を食べ、何を考えてきたか」東京大学総合研究博物館 米田穣教授の昨年に引き続いての講演が、8月12日に開かれました。普通の縄文の話とは違って大変アカデミックな内容なので、頭をフル回転させないと話に追いつけません。
大野正一会員が、感想をFacebookにすぐアップされました。早速、許可を願い、ここにそれを記載させていただきます。

Facebookでのご友人とのコメント交換でしたが、とても興味のある内容です。

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Oさん
「縄文人って、まだまだ謎が多いみたいで、DNAからもハッキリとは起源が分かってないようですね。だから、余計に興味深いですね。骨格等から復元には成功はしているみたいですから、身近に感じるのでは?」

大野さん
「これが、『文化』だ。『文化』がホモ・サピエンスと他の動物をわけた。これがこの講演で一番印象に残った部分。話の理解が不十分かもしれないけれど。」

Oさん
大野さん、文化という日本語は坪内逍遙の造語でしたね。連想しにくい。英語のcultureの方が分かりやすい。
肉体的変化は動物にもあらわれるけど、やはり文化として受け継ぐためのコミュニケーション手段は言語?と、なると人間と動物を分けるのは、言語を持つか持たないのかしら?バベルbの塔以来の文化の伝承はますます変わってしまったのね。

大野さん
「悔しいけど、cultureのニュアンスがわかんない。確かに、ことば、にも言及されてた。」
以上、大野正一さんのFacebookより
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