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縄文時代最古の丸木舟

縄文の丸木舟
 トール・ヘイエルダールは、1947年トトラで組んだバルサ(筏)コンティキ号で、ペルーからポリネシアへ、フンボルト海流に乗って航海実験をしてみせた。それに比べ、縄文の遺跡から出土した丸木舟は、火で焦がしながら一本の丸太をくりぬいて作ったものであり、大洋航海には向いていないとされている。しかし、四方を海に囲まれている日本列島で、賢い縄文人が海を利用しなかったわけがないといつも考えている。現在、縄文の丸木舟は日本各地から約160艘見つかっている。
 
 2015年2月23日付日経Webでうれしい記事を見つけた。それによると、2017年完成予定の東京外郭環状道路工事に伴う調査の際、千葉県市川市の「雷下遺跡」から日本最古の丸木舟が出土したという。その舟はニレ科ムクノキをくりぬいており、全長約7.2m、幅50cm、厚みは舟底部の端で約8cm、船首部分は40cmあるので、実際の長さはほぼ7.6mあるとのことだ。私が見たことのある鳥浜貝塚や中里貝塚の舟はどれも長さ6mほどだったので、さらに大きいのだと想像している。
 しかも、今まで出土している丸木舟は縄文後期から晩期にかけてのものがほとんどで、5500年以上さかのぼれるのは数例にとどまっているが、この舟は7500年前縄文早期のもので、我が国最古の丸木舟だ。

 三内丸山遺跡で見つかった霧ヶ峰産黒曜石や糸魚川の翡翠は、日本海を行く海上ルートで運ばれたという説があり、神津島の黒曜石も海を渡ってきている。日本の海は縄文人の漁場だけでなく、交通ルートだったのではないかという夢が湧いてきた。
 富山県が出している逆さ地図(日本が上の地図)を見ると、日本列島はガーランド(花綵)列島だというのがよくわかる。樺太から南西諸島へかけて点々と美しい弧を描いている。点々と島々を伝って縄文人は海を利用していた。日本現代人が久しく忘れている海の交通手段、海をフル活用していた縄文人を見習わなければとおもう。
記: 山本 郁子

写真説明:雷下遺跡         中里貝塚(北区飛鳥山博物館展示)の舟と舳先


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