八ヶ岳山麓 縄文文化の魅力

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 縄文土器のすばらしさを全世界に知らしめたのは、井戸尻遺跡群の調査によって明らかになった豊富な出土品である。昭和40年発刊の『井戸尻遺跡』(中央公論美術出版)は、当時の縄文時代の発掘調査報告書としては大作であり、藤森栄一の執筆になる力作であった。豊富に示された土器の実測図に描かれた文様は、中期独特の呪術性があり、見る人の心をたちまち捉え、研究者さえもが豪放、雄大、華麗な、そして芸術的な縄文土器を驚きの眼で見つめることとなったのである。芸術的な一面に加えて、文様の変遷や、生活用具としての土器のセット、さらに縄文人の生活スタイルの復原などに、これまでにない新鮮な学説が随所に提示されていたのである。
 縄文土器は、小は3〜5cmのミニチュア土器から、大は70cmを越える大型の土器まで大小さまざまである。形態も大部分は深鉢であるとはいえ、壷・浅鉢・円筒型・器台とバラエティーに富む。大型土器は完全な形のまま残されていることはほとんどなく、大部分は復元修理されたものが多いが、諏訪の研究者は『井戸尻』以後、より完全な形にして文様を復原し、着色して、すばらしい縄文土器を見せることが縄文文化の理解の早道と考えた。遺跡の大切な出土品として扱うというこだわりが、芸術的縄文土器を世界に知らせる結果になったのである。
 日本の縄文文化を象徴する縄文土器については、県内の出土品を主に、写真の用意が出来次第、紹介していく予定である。


中部山岳地域の縄文文化繁栄を象徴する顔面把手付土器

 土偶に比べ発見地域が限定されることや、つくられた期間が中期の時期の短い間ということなどから数も少ない。土偶の万を超える個体数に対し、わずかに500余例である。出土は長野県中部から南部、山梨県静岡県、神奈川県の山岳部に限られている。関東の貝塚文化圏にはないし、東北の縄文文化圏にもない。中部山岳地域のもっとも特徴的な土器である。


顔面把手付土器文化―微笑む縄文美人

 「顔面把手」付土器は、中部山岳地域から関東南部、伊豆方面に至る範囲に発見されている。縄文時代中期の中頃までつくられ、以後はぱったりなくなる不思議な運命の顔である。多くは土器の口縁に中を向いたスタイルで顔面部だけが付けられる。まれに外を向くスタイルがある。この優品が岡谷市海戸遺跡から発見され国の重要文化財になっている。
 海戸の土器は顔面部が外を向き、釣りあがった大きな目はパッチリと、ちいさな口は円いおちょぼ口に穿たれ、真ん中に上向きの鼻が付けられている。三角形の頭部はヘアースタイルを表現するのか、両側の丸い穴はイヤリングか、首の周りの紋様は首飾りか。土器の器形は胴部が強くくびれて、いかにも女性の体部のようである。顔面の反対側には小さな把手が付くがヘビの頭が乗っている。高さは把手の頂までで46cm、顔面部が大きいためか表情がきれいであり、人間らしい。


 もっといい顔が同じ海戸遺跡から出土している。顔面把手だけであるがこれは明らかに微笑んでいる。最もやさしい顔の微笑む縄文美人と言われるのも無理からぬことである。
 岡谷は顔面把手の優品が多いところである。形になったもう一点は長地の榎垣外遺跡の出土品であるがこれは内を向いたスタイルで樽型をしている。顔は海戸に良く似て優しい。この土器のすごいことは反対側の把手である。大きなヘビがとぐろを巻いて頭を口縁の上までもたげている。女性と対峙して男根の象徴である蛇が描かれる図式はこの土器に多いが、それにしても見事なつくりである。
 顔面把手の起源は、一つ前の時期に盛んに付けられた獣面把手とする学説がある。中期の初めになると把手はないが顔は土器体部の縁の近くに目と鼻と眉が描かれる。その後、人の顔のような把手が付けられるようになる。なかには顔の表現がないのっぺらぼうもある。表情にも個性があり、タコのような顔、三ツ口の顔、片目の顔、両手の表現があってほおづえをつくポーズなど数は少ないが様々である。


縄文人の心性を知る手がかり

 縄文人の心性を伝えるモノは、顔面把手付土器のほかに例えば子供を抱いた姿の土偶があるように、縄文人は彼等なりのものの考え方を表していることは間違いない。出土状態に見られる土偶の在り方も同じであろう。茅野市棚畑遺跡のビーナスや中ッ原遺跡の仮面の女神は明らかに埋納されているし、岡谷市目切遺跡の壷を持つ妊婦土偶ははバラバラに壊されて捨てられていた。その行為には縄文人の心性あるいはモノの考え方が読み取れる。モノの考え方、つまり、死後の世界や未来に向けたいわば縄文人の宇宙観ともいうべき思惟があったことは明らかであるが、今の考古学ではそれを実証的に説明することはむずかしい。


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